Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

19世紀における魔術師像とエリファス・レヴィ:承

彼が近代オカルティズムの祖である所以は、宗教と科学の両面から西洋隠秘学を集大成し、それに統一像を与えたことにある。(中略)十九世紀という実証主義勃興の時代に、メスメリズムに裏打ちされた星気光理論という科学的(厳密に言えば似非科学的)色彩のもとに再統合したことである。*1

対立する2つの力の制御と調和は古来よりカバラ錬金術など様々な秘教において追求されてきたテーマであり、男女関係などの様々な事柄に適用し易く応用範囲が極めて広い。

「自然」の中には一つの均衡を生み出す二つの力がある、そしてこれら三つのものは単一の法則に他ならない。*2

レヴィは『高等魔術の教理と祭儀』においてこのテーマを魔術の中心に据えたが、他の多くの魔術研究家達のように黴臭い書庫に閉じ籠もって古のノスタルジーに浸ることを良しとしなかった。
彼は、18世紀に大流行したメスマーの動物磁気と、そして当時はまだ現在進行形であった蒸気機関による産業革命のイメージを巧妙に織り込みつつ錬金術的原理を語る事により、魔術が単なる昔の迷信ではなく、寧ろ近代科学的アプローチによりその真価が引き出せる可能性を読者に示したのである*3

それにまた「自然」の中には蒸気よりも遙かに強力な一種の力が存在しており(中略)メスメルの弟子たちの手さぐりによっておぼろげながら明らかにされたこの作因は、まさしく中世の錬金術師たちが「大作業」の「第一物質」の名で呼んでいたところのものである。*4

いまや古代魔術の奇跡が磁気学によって理解できる時代である。(中略)自然の秘められたる法則を研究すれば更に大きな驚異を実現する事も可能であろう。*5

更にレヴィは、その力を引き出す為の条件としてキリスト教の聖人や伝説の魔術師・錬金術師達と同様に清貧な人生を送る事を提示したが、それはありきたりの宗教や道徳論からの帰結ではなかった。対立する2力の何れにも翻弄されず自在にコントロールする為の必要条件として、何ものにも囚われない為の欲望の放棄*6が必要であるという、あくまでも理に裏付けられたものとして提示したのである。

真の魔術師達は皆、(中略)節度と純潔を守り抜いた。(中略)或る力を自由にするためには、こちらがそれによって振り回されるようなかたちでその力に縛られてはならないからである。*7

これによってレヴィは19世紀における魔術師を、一見古臭く馬鹿らしい人物に見えるが実は理性的で倫理的で自由な生き方をする人間なのだ、という近代的人物像にまとめあげたのである。
このようなレヴィのオカルト復興における論理は、社会からの自由を科学の最先端の先に求める現代のSF作家達とどこか相通じるものがあるのではなかろうか。
(続く)

*1:『魔術の歴史』鈴木啓治訳、人文書院;「訳者あとがき」p613より。

*2:『高等魔術の教理と祭儀−教理篇』生田耕作訳、人文書院;四章pp.82より引用。

*3:日本に於いてはレヴィはちょっと過小評価なんじゃないだろうか?レヴィは理論派であっても実践が出来なかった訳じゃない。それどころか良く読むと魔術実践を行う上で役に立つようなヒントが沢山載っているのが判る。特にアストラルライトに関する記述や対立する2力の制御についての記述は、直感的だがこれほど的を射たものは他には無いと思う。クロウリーが自らをレヴィの生まれ変わりと称し「レヴィは真の教義を隠している」と言ったのも伊達じゃない。レヴィを馬鹿にする奴は知ったかのニワカ魔術ファンに違いない、と私は思っている。

*4:前掲書;序章pp.23より引用。

*5:『高等魔術の教理と祭儀−祭儀篇』生田耕作訳、人文書院;二十二章pp.325より引用。

*6:「正しい事を正しく行う」という意味で仏教における四諦八正道に近い考え方だと思う。

*7:『高等魔術の教理と祭儀−教理篇』生田耕作訳、人文書院;十一章pp.161より引用。