Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

2004-01-01から1年間の記事一覧

心地良い鞭と拘束具(その2)

「愛こそ法なり、意志の下の愛こそが。」(『法の書』I−57.) 前回挙げた『法の書』の3つの文章の解釈は色々とあるが、ここでは私なりに解釈した『意志の下の愛』と力の集中との関係について論じてみる*1 クロウリーの著作を読み込んだ人ならわかるだろう…

独り言

FraterCSさんのBlogに触発されて自由について何か軽く書こうと思ったが、自らの乏しき知性と文才の無さ故に、長々と魔術的自由論を書かなければまとまらない事に今頃気がついてしまった。長くなりそうな上に落とし所が見えにくい・・・ムシャクシャしてやっ…

心地良い鞭と拘束具(その1)

『20世紀最大の魔術師』と呼ばれるアレイスター・クロウリーは膨大な著作を残したが、その多くは難解であり、生前に残した数々の伝説や武勇伝(奇行)も相俟って、彼の業績についてはとかく妙な誤解や神秘化が付きまとう事が多い。 しかし細部は兎も角とし…

情報創造ツールとしてのBlog

でもってBlogの話に戻るが、Blogの『型』は日記や時事評論などに向いている。特に誰かが見つけてきたニュースのBlogをネタに、あーでもないこーでもないとお互いのBlogの間でトラックバックを交わして時間差Web井戸端会議をする、という使い方が主流のようだ…

心地良い鞭と拘束具(幕間):Blogの利用法

本題に入る前にもう一歩寄り道。 Blogの利点や欠点については色々なところで考察されているが、共通して言える事は「Blogを使う一番大きなメリットとは多くの人が簡単に使える事だ」という事であろう。 Blogツール毎に細かい違いはあるものの、基本的には今…

Blog移転計画

今、はてなダイアリーの規約改正が一部のBlogger達を騒がせている。私ははてなの程々不便で色々便利な機能が大変気に入っていて、今回の住所登録の話*1も完全有料制への移行のプロセスだと思っていたので、「まあこれくらいのサービスなら、将来的には高くな…

心地良い鞭と拘束具(前説)&Blog移転?

私事で恐縮であるが、私がBlogを始めようと思い立ったのが今年の7月である。 数ある無料Blogの中で何故『はてなダイアリー』を選んだのかというと、色々と理由はあるのだが、最大の理由は『はてなダイアリー』が程々に不便だからである。実は、最初はプロ野…

サイバーパンク時代のグノーシス主義者

「現実を直視しろ。おれ達にはもう、仮想現実しかないんだ。」 漫画『ルサンチマン』*1の主人公坂本タクローに、坂本を仮想現実の世界「アンリアル」に引きずり込んだ友人の越後が言う台詞である。 30歳目前でデブ・ハゲ・貧乏の3拍子が揃った2人には、…

世界の一部としての自分

「それ」は突然やってくる。陽の暖かさと光が太陽の微笑みとして全身を包み、近くの池の水面と匂いが心身を優雅に撫でる潤いとうねりを運んでくる。肌に触れる空気は無数のシルフと手を取りながら踊っているかのように心地良く絡みつくが、バラバラではなく…

日本魔術界滅亡への序曲

法の書の「すべての男女は星である。」という一節を持ち出すまでもなく、近代以降の魔術は実践するものの個性を重んじる世界であり、それ故に魔術実践者は他人の「真の意志」を尊重する為に干渉を嫌う傾向があるように見える。 特に混沌魔術の流行以降は更に…

神様はギャンブラー?

某掲示板の書き込みを見て思ったけど、100年前ならいざ知らず、現代的な世界観においては「神様はサイコロを振るのか振らないのか?」という事は問題にすらならない気がする。何か私の知らない哲学的な問題があるのだろうか? 以下、某オカルト研究サーク…

真の名前について3

魔術や呪術に実効性はあるのか?というのは結構難しい問題であり、下手をすると魔術的世界観という百家争鳴の主題について果てしない論議を続ける事になりかねないので、ここでは深入りはしない。 しかし、少なくとも魔術では『物体が空中に浮く』というよう…

真の名前について2

『真の名前』=「そのモノの性質を適切な言葉で表したもの」とすると、それを知るのが困難という元々の問題を解決したとしても、利用するには実用上非常に大きな問題がある。『指輪物語』で木の髭がオークを「豚鼻の鉤爪の・・・」とやたらと長い名前で呼ぶ…

真の名前について1

魔術や呪術の世界において、名前は非常に重要な意味を持つ。 古代エジプトの太陽神ラーとイシス女神の神話にあるように、あるモノの『真の名前』が判れば、それが神であろうとも呪術的に支配する事が可能になる、と言われている。 古代エジプトやケルト人な…

巻頭言

とにかく思いつきのメモ書きを不定期に書いて行く事にする。継続して書いていく事が出来れば、多少は人様が読めるものになるかもしれない。