心地良い鞭と拘束具(その2)
「愛こそ法なり、意志の下の愛こそが。」(『法の書』I−57.)
前回挙げた『法の書』の3つの文章の解釈は色々とあるが、ここでは私なりに解釈した『意志の下の愛』と力の集中との関係について論じてみる*1
クロウリーの著作を読み込んだ人ならわかるだろうが、多くの著作の中で彼は何度も集中の重要性を説いている*2。
一つの目標の為に効率的に力を集中する事によって、人は大きな成果を得られる。バラバラなものを『意志』の下に結びつける絆、それが『愛』である。*3
ここで言う『愛』とは、封建時代にお家の事情で仕方なく行われる結婚のような、2者を単に縛り付けるだけの粗雑な強制力ではない。そのような野蛮なやり方は、鎹と釘を紐で結びつけてより強い釘を作ろうとするようなものだ。そうではなく、適所適所で釘と鎹を使い分ける事によって無駄に木材を傷めず必要な強度を得られるようなバランスを見いだす事が大切なのである。つまり異なるものの間で両者の特性を生かしつつバランスを取る*4、即ち一つの調和を形作る事なのである。そして全てのものの調和を取る事で、それらの全てを『意志』の為に働かせる事ができるようになる。
クロウリーはこう述べている。
「・・・だからあらゆる方法を用いて行動したまえ。ただしそのあらゆる方法がもたらす結果を「意志の一つの方法へと変換」すること。(中略)なぜならあらゆる方法とは「本当」は「一つの方法」の事であり、(中略)それが「多様」に見えるのは幻想で、この幻想こそ「愛」が追い払うべき目標なのだ。」*5
(続く)