Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

神様はギャンブラー?

掲示板の書き込みを見て思ったけど、100年前ならいざ知らず、現代的な世界観においては「神様はサイコロを振るのか振らないのか?」という事は問題にすらならない気がする。何か私の知らない哲学的な問題があるのだろうか?
以下、某オカルト研究サークルで発表したネタの一部を改変して再提示する。

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神はサイコロを振らない」というのはアインシュタインの有名な言葉であるが、現代物理学では神が(まだ死んでいないとしたら)博打好きで放埒な存在である事は常識となりつつある。
20世紀初頭の量子力学の台頭はミクロな世界に不確定生が存在する事を明らかにし、20世紀後半の「決定論的カオス」の発見は、マクロな世界の複雑性、乱雑性が簡単な数式と変換式によって生じる事を示し、更に時間と空間を同様に扱うField Theoryは因果律すら揺らぐ可能性を示唆している。
そして人間の認識の変化は世界観の変化をもたらす。
古代の人々にとって規則性・単純性は神がもたらすモノであり、複雑さ・乱雑さは悪神・悪魔の所行であった。神の作った単純な世界が突発的な悪魔の悪戯によって複雑になる、というモチーフは世界中の多くの神話に見られる。
ところが現代の認識の最前線では、この宇宙はミクロの揺らぎと偶然により生じたものであり、この世の乱雑さ・複雑性さは世界の構造に深く根ざしたものである。
ここで気を付けなければいけないのは「乱雑さ(Randomness)と複雑さ(Complexity)を混同してはいけない」という事である。
乱雑さとは、まさに神のサイコロ遊びであり、世の中に偶然(多くの人にとっては思いがけない幸運や不運)をもたらすものである。一方、複雑さは、過去のしがらみや物理的なサイズの制約といった世の中にある様々な制限からもたらされるものであり、それは神様のサイコロと一緒に様々な規則や秩序、そしてフラクタル*1な構造を生む。そこから生まれるモノは決まり切ったものだけではない。例えば、生命は神のサイコロをきっかけに、その規則や秩序を子宮として生まれるのである。
混沌魔術の旗手(であった)ピート・キャロルは『Liber Kaos』*2で全てがランダムに発生する世界観を提示しているが、彼がこの乱雑さと複雑さの違いを認識していないが為に、Kaosの例として上げている現代の複雑系研究における最も重要な部分がこの本においては完全に欠落している。
つまり、何を言いたいのかといえば、神様はキャロルの世界観に合致するような純粋なギャンブラーではなく手堅い仕事もされている、という事である。いわば、この宇宙という巨大なカジノで自らサイコロも振る経営者が神様なのだ。そして、客の大当たりが時にはカジノの経営に影響するように、ある個人の『大当たり』が宇宙の法則によって全体に影響する事も、ひょっとしたらあるのかもしれない。