Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

真の名前について2

『真の名前』=「そのモノの性質を適切な言葉で表したもの」とすると、それを知るのが困難という元々の問題を解決したとしても、利用するには実用上非常に大きな問題がある。

指輪物語』で木の髭がオークを「豚鼻の鉤爪の・・・」とやたらと長い名前で呼ぶ場面があるが*1、あるモノの『全ての』性質を言葉で表すと膨大な長さになってしまうのである。
例えば、ある人間の全ての性質を言葉で表そうとすれば、その人の遺伝的性質や生まれる前からの経験や記憶、そして関係する人達の人間関係といったその人の肉体・精神・人格などを構成する全ての要素を記述しなければならない。しかし、仮にそれら全てを、例えば日本語で記述するとすれば、本1冊くらいでは到底収まりきらない。
つまり真の名前は、そのまま使うには長すぎて実用上非常に不便なのである。

ここで、『名前』そのもの性質について少し考えてみよう。
Aという会社員がいて、B課長という人間の屑がAの上司だというシチュエーションを想定しよう。
会社でAがBを呼ぶ時は、余程の事が無い限り、嫌な奴であっても「B課長」或いは「Bさん」と敬称を付けて呼ぶであろう。
しかし、Aが居酒屋で酒を飲みながらその場に居ないBについてCに愚痴を言う時には、「Bの糞野郎」と言った方がAがBをどう思っているのかがCに適切に伝わるし、Aも余計なストレスを溜めずに済む。そしてBに対するAの評価「糞野郎」が適切ならば、CもAに味方してくれるかもしれない。
つまり、あるモノを名前で呼ぶ際には、名前を呼ぶ状況と、そのモノと名前を呼ぶ者との間の関係によって、その場合に応じた適切な呼び名が決まるのである。

この事と『真の名前』=「そのモノの性質を適切な言葉で表したもの」という考えと組み合わせると、『真の名前』を利用する際には、『真の名前』から対象となるモノとの関係と状況に対応した『性質』を表す部分を切り取って使えば良い、という事になる。つまり、上記の例で言えば、『課長』というのも『糞野郎』というのもその時点でのBの持つ性質であるので、それらの『名前』は適切な場面で使えばそれなりの効果がある、という事になるであろう。

それは日本語のような自然言語に限らず、象徴言語を用いても同じである。
例えば重力を数式で表す時は、地球表面近傍で質量mを持つ物体にかかる重力はmg、質量mの物体と質量Mの物体の間の重力は GmM/r^2重力レンズを考える際はアインシュタイン方程式*2というように、問題に応じた表現を用いるのが実用上最も都合が良い。木から地面に落ちるリンゴの運動をテンソルを用いて解くのは、答えが如何に正しく得られようとも、労力の無駄遣いでしかない。

前フリが長くなったが、魔術の様な象徴言語を用いる呪術体系では、術を行う対象に応じて様々な象徴を集めたり印形や呪文を作ったりする。そうやって集めた象徴が力を持つか否かは、それらの意味するモノが術者と術の対象との関係に応じた『真の名前』を表しているかどうかにかかってくるのだ。

話がやや抽象的になり過ぎたので、次回はもう少し具体的に述べてみよう。

*1:DVDを見直したが、映画ではそのエピソードは省略されていた。しかしエント語で話すとやたらと時間がかかる、という描写は映画にもある。

*2:アインシュタイン方程式: http://www.a.phys.nagoya-u.ac.jp/~taka/lectures/cosmology/webfiles/cosmology-web/node244.html