Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

19世紀における魔術師像とエリファス・レヴィ:転

われわれにとっての「神」とは、賢者の「アゾト」、「大作業」の動因的また窮極的原理の謂である。*1

絶対的なものとは、とりも直さず条理である。*2

近年の科学史研究の成果を見れば西洋の、特にルネッサンス期から近代にかけて、ヘルメス学が近代科学の母胎という歴史的な役割を担った事は最早否定できない事実であろう。キリスト教神学という表の文化に取り込まれなかった或いは排斥された裏の文化、呪術、錬金術、占術、算術、民間伝承、手品、悪魔学、古代の異教、異端思想などが混沌と渦巻く吹き溜まり、それが当時のヘルメス学の世界であった。
それらは錬金術の「上の如く、下も然り」のようなアナロジー実証主義という骨格を元型として混沌の中から徐々に成長を遂げ、宗教や迷信や錯覚に依らない普遍性とそれによる汎用性と実用性を得る事によって、近代科学として表の文化の中心へと躍り出た。
この近代科学とのアナロジーを用いて新しい魔術を提示する事により、レヴィは、魔術に特定の文化や宗教を超えた近代的な普遍性と汎用性を持たせ、魔術を古代の死んだ迷信ではなく現代の生きた方法論として復活させようとしたのであった。その成果はレヴィの死から数年後、一九世紀末のオカルトブームとして花開く事になる。
このレヴィによるオカルティズムの復興(近代オカルティズムの創造)を考える上で重要なポイントは、「古臭い魔術を新しい視点で見直す事によって、世の中に新しい変革を起こす為の新たな方法が生まれそうだ。」という希望と期待をレヴィがもたらした事である。そして希望と期待は新しい活力を呼び寄せるのである。
一方、黴臭いノスタルジーの中に閉じ籠もるだけではそのような「今」との接点は決して見いだせない。「今」との接点を失ったものは、時代の流れと共に活力を失い消えていくだけである。
(続く)

*1:『高等魔術の教理と祭儀−教理篇』生田耕作訳、人文書院;序章pp.27より引用。

*2:前掲書;22章pp.263より引用。