Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

魔術関係の書物の翻訳は何故難しいか?

「もった!ニュイの顕現。」
これは日本人の魔術研究家の集まりでしばしば酒の肴になる有名な誤訳である。もう20年以上も前に出版されたある魔術関連本*1の中の、クロウリーの『法の書』冒頭の引用部分の訳である。この部分を読んで思わず吹き出してしまった魔術ファンは、恐らく日本全国で100人を下らないと思われる*2。マルセロ・モッタもびっくりである。*3
では、何故こんな珍訳が生まれてしまったのか?訳者の能力が低かったのか?
この本の著者はオカルト一般について世界的に高名な作家であり、多くの著名な魔術関係者とも交流を持っている人物である。更に訳者は、この作家の著作の訳者として定評のある人であり、訳書の多くはベストセラーになっている。出版社の人から見れば、この本を出版するためのベストの人材、と言っても過言ではなかった・・・筈なのだが、それでも、こんな伝説級の誤訳が生まれてしまうのだ。
その本に限らず、魔術関係書籍の翻訳は、とにかく難しい。中学生の英語のような稚拙な日本語訳を晒している私が言ってもあんまり説得力はないかもしれないが、その理由として以下のような事情が挙げられる。

  1. 英語以外の言語の知識が必要:先日訳し終えたW.W.ウエストコット著『形成の書』の序文を見れば判るのだが、カバラ魔術は英国人にとって基本的に輸入文化である。従って、ヘブライ語ラテン語(場合によってはギリシャ語やアラビア語)などの英語以外の言語の知識が要求される場合がしばしばある。
  2. 儀式中の動作の記述の解釈の難しさ:儀式文書中に出てくる動作についての記述は、写真などがないとなかなか判りにくい。元々は目の前で実演して教えることが前提の秘伝だったのだから仕方がないのだが、文章から実際の動作を正確に推測することは難しい。もっとも、これについては今ではYouTubeなどに投稿されている儀式動画などがあるため、一昔前よりは大分見当が付きやすくなった。
  3. 訳語の難しさ:魔術に限った話ではないが、英語読み、ヘブライ語読み、ラテン語読み、等々どの言語での発音を採用するか?*4或いは邦訳された文献を引っかき回して旧来の訳語を探し出して来て使うか?大変、判断の難しいところである。
  4. 関連知識が膨大:魔術は基本的にサブカルチャーなので固まった形式に拘る必要はない。よって流派の創始者や実践者の生い立ち、社会状況、或いは趣味によって様々な影響を受けるのである。歴史(洋の東西を問わない。正史のみならず伝承なども含む)、民族学、宗教、哲学、文化史、博物学、地理、等々の全てに渡って非常に広範な知識を要求されることもしばしばある。更に、クロウリーが数学の概念や化学式を持ち込んだりフォーチュンやレガ−ディーが心理学用語を多用するなど、20世紀以降の魔術書読解に必要な知識の範囲は文系ロマンチシズムの領域を遙かに超えてしまった。特に混沌魔術系の著者が引用する量子力学相対性理論などの現代物理学の概念や数式*5はまさに"Nothing is true. Everything is permitted."である。今でもSF小説、ヘビィメタル、情報通信技術、NLP現代思想スピリチュアリティ、等々、知識のカオスは更なる要素を加えて増大し、半端な知識しか持ち合わせない読者にとっては魑魅魍魎が跋扈する世界となっている。
  5. 解釈に秘教的知識が不可欠な文章がある:魔術文書の中には秘教的象徴体系に則った隠喩が多用される文章がよくある。特にクロウリー魔術系の「A級文書」*6は文章の隅々までカバラや魔術の象徴やそれらを盛り込んだ隠喩で埋め尽くされており、そういったオカルト的文脈を無視して訳してしまうと、魔術的には何の意味もない、訳の判らない散文が出来上がってしまうのである。
  6. マニア向けの小さい市場である:タロットなどの占い系が絡むと多少話が変わるが、基本的にオカルト本はマニア向けの小さい市場である。儲けが小さい上に、私のような底意地の悪いマニアが隙あらば重箱の隅をつつこうと常に目を光らせている。そういったコスト・パフォーマンスの悪さが、上記の事情を更に悪化させている。

 
冒頭の誤訳は、上記5.の典型である。『法の書』第一章最初の文"Had! The manifestation of Nuit."は第二章の冒頭の文"Nu! The hiding of Hadit."と対になっているのである。クロウリーの魔術体系における主要な神格であるNuitとHaditの関係が判っていないと正しく翻訳できないのだ。
とはいえ、この本の訳者の誤訳がそれで免罪されるかと言えば…正直、微妙である。何故ならこの本が出版される数年前に、国書刊行会からそれなりに魔術的意味を汲んで訳されている『法の書』が出版されており、しかも長年に渡って売れ続けているからだ。訳者がきちんとクロウリーの著作の邦訳をリサーチしていれば必ず目に留まった筈である。*7
結局ところ、世に出しても恥ずかしくない仕事をしようと思えば、

  • 事前リサーチをきちんと行う。
  • 途中、判らないことが出てきたら丹念に調べる。
  • 事情をよく知っている人を探して質問する。


といった地道な作業を手抜きせずに行うしかない。しかし、苦労して魔術書を訳したところで、金銭的に充分に報われる可能性はとても低い。
かように魔術関係の書物の翻訳とは難しいのである。特に実績のある訳者にとっては、労多くして益少ない分野であることは間違いない。
しかし、失うものがない魔術志願者にとって魔術書翻訳は、訳すこと自体が勉強になるため、それなりに意義がある。語学に興味がある、或いは自信がある魔術志願者には是非ともトライして貰いたい。

*1:出版社のページを見たら、まだ絶版にはなっておらず、「重版未定」となっていた。

*2:あくまでも私の推測であって統計による数値ではありません。

*3:これは私の友人がよく言う冗談だ。マルセロ・モッタはクロウリーの魔術結社A∴A∴の、カール・ゲルマーの次の首領、およびSOTOの首領であった。

*4:外国語のカタカナ表記は難しい。最も正当と思われる発音であっても、例えば、日本語のイケナイ言葉を連想させるような発音は使えない。

*5:流石に「場の量子論」を魔術に持ち込む人はまだ居ないようだが、そろそろ出てきてもおかしくはない。テンソル記号と偏微分方程式を駆使した魔術本というのも死ぬ前に一度くらいは見てみたい。

*6:『法の書』や『蛇に巻かれし心臓の書』などの、聖守護天使や秘密の首領から受け取ったインスピレーションによって書かれた、『お筆先』系文書である。

*7:もしかすると6.の事情もあるかもしれない。訳者あとがきにクロウリー著作集の日本語版の話があるからだ。当時のプチ・魔術ブームに乗って金を稼ごうとした出版社のスケジュールに間に合わせるために事前リサーチを省いたのかもしれない。「金にならない余計な仕事をしない」「売り上げに大きく影響しない部分にかかるコストは可能な限り削減する」という態度もその仕事で食っているプロには必要なことではあろう。勿論、不名誉が付きまとうことを覚悟の上での話ではあるが。