Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

19世紀における魔術師像とエリファス・レヴィ:結

われわれはもはや壊すべきものがなにひとつない時代に生きている。しかしすべてが壊されてしまったからには、すべてが造り直されねばならない。*1

魔術・呪術の起源は、恐らく人類の発祥の時代まで遡る位古いモノであろうことは疑いが無い。従って、魔術について学ぶ際には古き伝統を完全に無視する事は出来ない、という事もまた真実であろう。
しかしながら、魔術で扱うのは古代人の亡霊ではなく、「今」を生きる人間の精神である。そしてそれは、古き伝統を追うだけでは追い切れないものである。何故ならば、古の時代の精神的伝統が途絶えてしまえば、その魔術の賞味期限が切れてしまうからだ。例えば、古代バビロニア古代エジプトの魔術を現代日本人が行うには前提となる生活条件や世界観が違い過ぎる。古代バビロニア人が慣れ親しんだ神に祈るのと2ch位でしか神に感謝を捧げた事の無い日本人*2が名前すらロクに知らない神に祈るのでは、肝心要な心の内面の働きが全く異なるのである。如何に考古学を学びイシス神とその眷属について何万時間もの瞑想を行ったところで、古代エジプト人の生きた精神を完全に再現する事は不可能なのである。
レヴィは19世紀のヨーロッパにおいて、当時の近代的精神による古代の叡智の再解釈という形で魔術を提示する事により魔術の復興を成し遂げた。大切な事は、完全でなくとも良いから「魔術で何が出来そうなのか?」という希望を、その時代の文化や状況とマッチした形で提示することだ。希望さえあれば、現実が絶望だらけでも人間は前に進む事が出来る。希望が魔術師を動かし、魔術に新しい要素を取り込ませ新しい血を注入するのである。
ところが、今の魔術界、特に日本においては、このような「希望」の提示が極めて少ないように思う。GDの前提である19世紀の時代精神が21世紀の今、そろそろ古くなりかけているというのに、インターネット上の魔術ページの多くは古色蒼然としたGD魔術や中世魔術の話題で占められている。勿論ノスタルジーはあっても良いし、古い魔術の検証も前進する為には必要であるが、未来を見据えた発言が少ないように見える。
新しいものを創造する為には試行錯誤が必要なのであるが、現代においてはこの部分を混沌魔術が担っている、という見方も出来るのかもしれない。レヴィの本の、19世紀当時としてはSFチックな部分は当に混沌魔術的である、と言えるだろう。混沌魔術の著者の多くはGD魔術のような伝統的魔術を長年修行した上で新しい展開を求めて混沌魔術へと進んでいるから、当に彼らこそがレヴィのように伝統を新たな形で未来へと運ぶ担い手なのかもしれない。
日本においても『無の書』がようやく翻訳され混沌魔術方面の研究が盛んになってきたので、その内このような魔術の未来志向部分の未熟さは改善されるのかもしれない。しかし、『無の書』で提示された世界観は20世紀中頃の世界観だ。21世紀の今は既に黴が生えてきている部分も多い。
この問題は日本で魔術を行う者全てがもっと真剣に考慮すべき部分でもあると思う。古き伝統を学ぶ事は必要だが、古いモノを掘り返すだけでは今必要なモノは揃わないのだ。
(19世紀における魔術師像とエリファス・レヴィ:了)

*1:『高等魔術の教理と祭儀−祭儀篇』生田耕作訳、人文書院;一章pp.22より引用。

*2:「さ○らタンのエロ画像キボンヌ」「うpしますた。」「トンクス。>>**はネ申!」