Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

命の価値は?

小さな命であろうと大切に扱うのが魔術の基本中の基本であって魔術を修行するような人達は全て命の大切さを理解せねばならない、と貴兄はお考えのようですが、「大切さ」ってどうゆう事よ?というのが問題なんです。特に他者の命の大切さ、ってのはそれこそ思想・信条・宗教・文化、そして社会情勢等々によって大きく変わるものですよ。
例えば子供の命は現代社会ではかなり守られているけど、合法かどうかは兎も角として、ちょっと昔(日本なら明治時代位まで)は子捨て・子殺しはごくごく当たり前の話。これは、文明化していない社会では、それこそ普遍的に行われている事です。単に食物の生産量と消費量の問題だけではなくて、親の生活レベルの維持とか満足度の問題もあります*1。また洋の東西を問わず、堕胎は呪術・民間信仰と深く関係していました*2。魔術と関係の深いこれらの事柄ですら、現代的な意味での命の大切さとはかなり感覚が違っています。
そして世の中、そういう犠牲で成り立っている部分もあるのです。例えば社会の人口調整とか可処分所得の増加という意味で。
また、悪戯に生命を奪って喜ぶのは下種のやること、と貴兄は仰いますが、例えば戯れで虫を殺す猫達はどうでしょうか?世の中の仕組みにはヘカテに象徴される様な生命を奪う側面も有る事はご存じですよね。貴兄が生きているだけで多くの細菌は死んでいくし、貴兄が日々娯楽の為に消費するものの一部は、嘗て或いは今、世界の何処かで犠牲になった人の血で出来ています。
例えば何年か前の核燃料の臨界事故で亡くなった方々は、これ以上は無いと思える位の不条理な苦痛を受けて無惨な姿でこの世を去った*3訳ですが、我々はそういう犠牲の下に成り立っている業界の作り出した電気を使って、冷えたビールを飲みながらテレビの馬鹿番組をダラダラと眺めつつ匿名掲示板に馬鹿な書き込みをしたりして遊んでる訳ですよ。犠牲となった方々に感謝を捧げるのもいいですが、一方で自分が生きる事の喜びと欲がそういった他者の生命を奪う事に繋がっている側面があるというのも無視してはいけません*4
かと言って犠牲にばかり目を向けて歓喜と欲望を否定してばかりいると、生きる意味を見失い、キリスト教の『原罪』の様な奴隷道徳に囚われたロボットになってしまいます。歓喜と欲望こそが人間の文化・営みを前進させる原動力であった事を否定する人は殆ど居ないでしょう。何処かで開き直って自分の生を肯定しないと、自らを支える『生きる実感』を失って潰れてしまいます。
極論を言えば「俺様の為に有り難く死ね」というのも「命を戴き感謝しています」というのも、共に世の中の見方の一面でしかありません。両者の配分をどう取るかはその人の生き方の問題であって一意に決めて良いモノではありません。それを決めつけるのは宗教観・価値観の押しつけとなります。
兎にも角にもバランスの問題です。死刑執行人は世の中の多くの人に必要性を認められていますが、シリアル・キラーと一緒に居たい人は少ないです*5。開き直りも感謝も人生には必要なのだと、歳を取ると痛感致します。

*1:例えばhttp://www.econ.hokudai.ac.jp/~takais/soturon/2kisei/usami-sotsuron.pdf.pdfを参照。野生動物の子殺し、同族イジメについては説明の必要はありませんね。

*2:魔女と堕胎の関係についてはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%A5%B3、日本の水子供養については例えばhttp://www.ne.jp/asahi/time/saman/haikei.htm

*3:http://www8.plala.or.jp/grasia/dokushyo/JCO/Hibaku2.pdf

*4:件の事故の遠因として電力消費量の増加とコスト削減の要望が有る事は否定できないでしょう。

*5:アメリカ犯罪史上に残る連続婦女暴行殺人鬼テッド・バンディは非常にイケメンだったので沢山の獄中結婚希望者がラブレターを送ったそうですが、彼ら殺人鬼達の、人殺しでしか『生』を実感できない悲痛な魂を本当に満たすべく進んで犠牲者になろうとする人は殆ど居ません。