萌え魔術−理論と実践(理論編:前編)
猫萌えである*1。寝ている側で眺めているだけで、30分は至福に包まれて生きる事ができる。
問題は仕事と住居の問題でリアル猫タンが飼えない*2事である。寂しさを埋める為にパソコンの壁紙やマウスパッドは猫の写真だらけ。そして最近、猫写真集の決定版とも言うべき『The Complete Cats in the Sun』*3を買ってしまった。もう後戻り出来ないところまで来てしまった気がする・・・
30代喪男が独りで猫写真を見ながらニタニタしている姿は、他人が見たら即座に警察か救急車を呼ばれかねないくらい不気味且つキモち悪いものであることは、当人である私にも想像に難くない。
それはそれとして・・・
昨年は『萌え単』*4や『週間わたしのおにいちゃん』*5がアマゾンの週間ベストセラー上位を占めて識者を嘆かせたりとか、例の少女誘拐殺人事件のお陰で『フィギュア萌え族』なる妙な言葉*6がマスコミを賑わしたりとか、カルト宗教の信者の如く『萌え』を語る一部の『オタク』達*7と「『萌え』とは異性に相手にされない者の病的変態的代償行為に過ぎない」という所謂『社会の良識派』との対立が鮮明になった年でもあった。
経済誌上でアニメやキャラクターグッズなどのオタク経済の規模が議論される一方で、『電車男』の様な「オタクの社会復帰」*8をテーマにしたヤラセの物語が無理矢理としか思えないやり方で流行になったりして、オタクの金を搾り取りつつソフトに弾圧しようという動きも感じられない事も無い。
しかし、『萌え』とはそんなに忌み嫌われるようなものだろうか?
否!敢えて言おう、『萌え』とは人間の精神そのものであると!・・・いやちょっと言い過ぎだ。人間の精神性の発露の一形態、位かな・・・。
人間の脳は巨大化する事により思考能力の余裕を持ち、そして巨大化した脳を刺激し維持する為に脳内で思考を巡らすようになり、その思考を現実世界に具現化させたものが偶像である、と養老孟司氏が『バカの壁』*9で述べている。詳細は兎も角として、人間が脳の発達により己の主観の中に現実世界とは別の世界を構築できるだけの思考力を持ち、その一部を現実世界に実現出来る能力を持ったのは明らかであろう。
この思考力が人間の本能的欲求や社会的欲求或いは好奇心などの内発的欲求、つまり人として生きる為の欲求と上手く結びついた時、「欲求→思考→快感→欲求」という正のフィードバックのループが生じ、人間はソレを目的とした思考とその実現に己の生命力の大部分を注ぎ込むようになる。
これが神秘学や魔術で『Azoth』とか『Kia』とか呼ばれる生命力と直結した主観的精神エネルギーである。多くの宗教や神秘学そして魔術の修行は、これを制御し有効利用する為にある*10。ある意味、これをどう使うかという事は、己の命を・人生(の一部)を何に使うか?という問題と一緒なのである。
(続く)
*1:猫耳萌えではない。猫耳を頭に載せた女の子の絵を見ると頭蓋骨の構造が気になって素直に萌えられない。嫌いではないが・・・
*2:引越して且つ引き籠もりになるかSOHOな仕事に転職しない限り、毒男の私には行き届いた猫の世話ができない、というか風呂への落下、又は積ん読本とCDとDVDの雪崩で3ヶ月以内に猫が死ぬだろう。
*3:Hans Silvester著; Chronicle Books ; http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/081182909X/
*6:頭に蛆が沸いたとしか思えない自称ジャーナリストの造語を流行らせようとするマスコミもホントにアレですねえ。
*7:他の『穏健派』のオタク達は迷惑してるんですけど。
*8:というか本田透@しろはた氏に言わせれば 「脱オタして負け犬女とギシギシアンアンで厄介者二人が片付く便利な物語」ですね。http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/hondat/saru/nikki034.htm
*9:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106100037/
*10:例えば、ユダヤ教やイスラム教は偶像崇拝禁止を徹底する事により、この力が空想によって無闇に消費される事を禁じている。キリスト教も本来は偶像崇拝禁止なのだが、イコンやステンドグラスなどの教会の装飾に天使や聖母マリアなどの『萌え』絵を利用する事によって善良な人々を信仰の道へと誘導している。