Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

Caution Sub-cultural AREA

前振りのアレアの話に気合いが入り過ぎてしまったが、こっちが本題。(ホントか?)
サブカルチャーの役回りとは、要はタロットの『愚者』である。社会のはみ出し者で除け者であるが故に法や規範からの逸脱を大目に見て貰える哀れな味噌っカス。殴られ石もて追われる時もあれば拍手喝采とお捻りを受ける時もある、小さな子供に蔑まれる一方で権力者を馬鹿に出来る、野垂れ死にと隣り合わせの自由。メインカルチャーが衰退したり立ち行かなくなった時の為のリザーバーというポジティブな役割が無い事もないが、サブカルチャーは本質的に格好悪くて恥ずかしいものであり、それ故に自由を享受できるのだ。だからサブカルチャーに関わる事自体は弱さの証になることはあっても決して『格好良い』事ではない*1
そして、サブカルチャーの世界には誰もが認める『格好良い』英雄達が沢山の伝説を残しているが、彼ら英雄達が格好良いのは彼らがサブカルチャーの領域に居るからではない。彼らは彼ら自身の『格好悪い事』を力ずくで『格好良い事』に変えてしまうだけの力をメインの中に居られない弱さの代償として持っており、その価値転換を周囲や社会に認めさせてしまうが故に英雄なのだ。
メインカルチャーの領域はいわば町中の街路樹や芝生だ。町の権益に関わるが故に厳しく管理され整えられていなければならない。綺麗で安全で保護されているが自由は少ない。
一方、サブカルチャーの領域は原生林あるいはジャングルだ。ジャングルの土壌には町から追放されたり時の流れに飲み込まれて消えていった先人達の死骸、或いは町から流れてきた流行モノや遠い異国からの漂流物が折り重なり発酵して溶け合っている。それを養分として多様な草木が生え、それらの多くもまた力尽き倒れジャングルの土へと還っていく。
サブカルチャーの自由の最大の利点とは、このジャングルの土壌、即ち先人が積み上げた膨大なリソースを比較的気兼ねなく利用できる事にある。例えば前述のアレアは地中海周辺の伝統音楽のフレーズや1950年代〜1960年代のジャズをかなりパクっているが*2、それはかつて吟遊詩人たちが行っていた事でもある。昔から歌い継がれている歌、記憶の底に眠っている歌、異国の歌、そして流行の歌やメロディーを面倒な手続き無しで利用し、自分なりのアレンジを加えて新たな歌やパロディに仕立て上げる。先人の積み上げたモノを利用することで一人では一生掛かっても達成できない事も可能になるのだ。
だが自由であるが故に、つまらないモノしか作れない者は味噌っカスとしてしか認知されないし、味噌っカスの分際を超えようものなら叩かれるだけだ*3。吟遊詩人は身寄りの無い浮き草。歌で日銭が稼げなければ飢え死にするか恥も外聞も捨てて乞食になるしかない。
サブカルチャーに関わろうとする者には、儚い束の間の栄光を求めてジャングルで戦い抜いた末にひっそりと土に還る覚悟と相応の実力が必要だ。さもなければ哀れな味噌っカスとして蔑まれ同情乞食の道を歩むしかない。乞食には偉そうに主張すべき権利などないのだ。
力ある者のみが、戦い抜いた末に価値観の転換という世代を超えて生き残る勝利を得るのだ。
近代以前のヨーロッパでは魔術を含めたヘルメス学はキリスト教文化というメインカルチャーから排斥されたり外れたりした文化の集合体で、当にサブカルチャーそのものであった。近代以降、そのヘルメス学という土壌から近代科学という美しい花が生まれメインカルチャーへと成長した後も、取り残された魔術は未だにサブカルチャーの領域に居る。だから未だに魔術なんてやっている私の様な奴は時代遅れの馬鹿でしかない。ましてや、今の社会で魔術の有用性なんぞを問うのは情けない事だし野暮だしみっともない。
同じ馬鹿なら踊らにゃ損々♪一つの流儀に固執せずにサブカルチャーらしく興味のある事を手当たり次第魔術に突っ込んでみて試してみるのもまた一興。それを格好良いモノに出来るかどうかは個々の魔術師達の実力次第だ。
要するに何が言いたいのかと言えば・・・えーと・・・松山千春はムネオを本気で応援する気があるならもっと本業を頑張れ!という事だ*4
(自分の事はいつものように棚に挙げて逃走!)

*1:政治的、人種的、宗教的理由でサブカルチャーに入る場合もあるが、それも広い意味で、集団としての『弱さ』の表れと言える。

*2:The BeatlesLed Zeppelinといった1960年代や1970年代を代表する大物達も50年代や60年代のR&Bなどを大量にパクっている。そもそも実質的に利用できるメロディーが有限個しかないが故に、音楽の発展はパクリ無しにはありえなかった。似たような事情は人体を描く必要性のある漫画にもある。たけくまメモこの辺りのエントリを参照のこと。近年、音楽や漫画の著作権管理が厳しくなってきたのはこれらが最早サブカルチャーと呼べないものになりつつあることの表れなのかもしれない。

*3:サブカルチャーにはサブカルチャーのパクリの仁義があるが、それはメインカルチャーでの種々の手続きと比べれば遥かにインフォーマルで緩い。最近のエイベックスや某少女漫画家のパクリ問題は、サブカルチャーといっても比較的メインに近い大手プロダクションや大手出版社の雑誌にも関わらずサブカルチャー内の緩い仁義すら通さずに力ずくで押し切ろうとした姿勢が大きな反感を買った理由であろう。

*4:今のままだと芸人としての存在感が政治家のムネオ以下だ。頭皮だけじゃなくてもっと本業でも輝け!そうすればムネオ共々もっと光り輝けるだろう。上述のアレアは同時期に世界デビューして大成功したPFMに負けずとも劣らない実力とPFMを上回る国内人気があった上で、更にイタリアのマフィア社会の中で過激な政治的姿勢を貫いたからこそ有無を言わさぬ説得力があったのだ・・・と偉そうに説教しておく。