Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

アレアの栄光と革命

ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ〜おぅほぉほぉほぉっいひふぅふほぉぉぉ〜ほほほぉっほぉぉぉぉぉぉ〜いああぁゆぅぅぅぅはあぁ〜はぁあはぁあ〜いゆぉぉぉおおおおおぃいゆぉぅぅぅぅっっいゆぅぅぅぅうぅうぅぅぅ〜・・・
宇宙最強ジャズ・ロック・バンドといえば間違いなく、70年代のイタリアン・ロックを代表するバンドであるアレア(AREA)であろう*1
アレアの幅広い音楽性を敢えてまとめて言うならば、賑やかながらも何処か哀愁の漂う地中海地域の伝統音楽のフレーズにノって展開される爆走お馬鹿ジャズ・ロック、というところであろうか*2。更に19世紀から血で血を洗う労働運動*3が続いていたイタリアで、当時野党だった共産党の大会でコンサートをやり*4、思想的に真っ赤っかな歌詞を鬼テクお馬鹿演奏と共に歌う覚悟が素晴らしい。しかもコンサートの締めは万国の共産党テーマソング『インターナショナル』をフリージャズ風にアレンジしたものだ*5。イタリアらしい、情熱と技量と伊達と酔狂の全てを兼ね備えた素晴らしいバンドであった。
70年代のユーロ・ジャズロックと言えば、同じくイタリアのアルティ・エ・メスティエリとかコバイヤ星からやってきたマグマの名前が頻繁に挙げられる。好みにもよるだろうが、私はこれらのバンドよりもアレアの方が断然素晴らしいと思う。何故ならアレアは超絶テクニックで馬鹿をやるという事にかけては右に出る者が居ないバンドだからだ*6
冒頭に書いたのは『Giro, Giro, Tondo(廻る、廻る、輪になって)』という曲の最初のボーカル・ソロ部分を無理矢理文字で表したもの*7であるが、これを技量の無い人間がやると単なるつまらない馬鹿か基地外が騒いでいるようにしか見えず、精々失笑がもたらされるのみである。しかし、芸を極めた馬鹿は周囲に前向きな明るい笑いと開放感と力強さと感動を呼び起こす事が出来るのだ。
その超絶テクニックとお馬鹿パフォーマンスの共存を象徴する存在がボーカル&キーボードのデメトリオ・ストラトスであった*8レオン・トーマス*9のスタイルを基本としつつ、独自の発声法に加えてカンツォーネや地中海・東欧の伝統歌唱法を取り入れて、破天荒なセンスとそれらの技術を融合させた独特のボーカル・インプロビゼーション(即興)のスタイルを築いた男である。
このデメトリオの存在は、クイーンに於けるフレディ・マーキュリー以上にアレアの音楽性を支える重要な存在であった。例えば、アルティ〜にはフリオ・キリコの卓越したドラムがあるがデメトリオ役は居ない。悪く言えば『お上品』だ。また、マグマのクリスチャン・ヴァンデはお馬鹿役としてはデメトリオに勝るとも劣らないが、ボーカルやドラマーとしての技量およびバンド全体の演奏力ではアレアに及ばない*10。馬鹿さと常人離れした技量が高度なレベルで融合しているアレアこそが窮極のジャズ・ロック・バンドの姿なのであり、その融合を可能にした存在こそがデメトリオなのであった。
しかし、宇宙最高レベルの演奏技術と作曲能力とアレンジ能力と鉄壁のアンサンブルとセンスを兼ね備えた当に完璧としか言いようの無いこのバンドが、本国のイタリアですら時の流れと共に忘れ去られようとしているのは諸行無常としか言いようが無い。
1975年、アレアの応援の甲斐もあって共産党はイタリア労働運動史上最大の成果であるスカラ・モービレ(物価連動賃金制)を勝ち取った*11。その後、実験的なアルバムを1枚出した後に、共産党との関係が切れ純粋に音楽的追求が出来るようになったアレアは、レーベルを変えて大傑作『1978 Gli dei se ne vanno, gli arrabbiati restano! (1978年、神々は去り、狂信者達が残った!)』を発表するがデメトリオが白血病に倒れる*12。そして翌1979年6月、元PFMのM.パガーニ、バンコ、元アルティ〜のG.ヴェネゴーニ等のイタリアのトップミュージシャン達と5万の聴衆を集めて開かれたデメトリオ回復祈願コンサートは、その前日のデメトリオの死によって急遽追悼コンサートとなったのであった*13。享年34歳*14。その後デメトリオを喪ったアレアは上品なジャズを演奏するバンドとなってメジャーシーンからは遠ざかり*15、25年以上経った今では40歳以下のイタリアの若者達には殆ど知られていない、マニアだけが知る存在となってしまった*16
だが、彼らの残した爪痕は、ひっそりと社会の中に形を変えて残っている。今日、アレアやデメトリオの影響を受けたミュージシャン達は多数活動している。そして何よりも、アレアを聞いて育った世代が今日のイタリアを動かしている。
アレアは、断崖に向かって無邪気に歩くタロットカードの『愚者』のように、後先を考えない純粋な『馬鹿』として時代を駆け抜け、世の中を、ホンの少しだが、変革して消えていったのだ。
ほぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ〜・・・うう゛ぉぉおおおおおおおうぇっっ、ぅう゛うううぉおおおおぇっっ*17
(『アレアの栄光と革命』了。次回のエントリ『Caution Sub-cultural AREA』に続く。)

*1:『AREA』と言う単語が名前に入るバンドは沢山ある上に『アレアレア』とか似た名前のグループが多く、更にバンドの屋台骨であったドラムのジュリオ・カピオッツォが『AREAⅡ』を結成したりしているので、アマゾンなどで検索すると余計な情報が沢山引っかかって大変ややこしい。しかし、真の『International POPular Group』は、このAREAだけだ。

*2:勿論そればかりでなく、ラップやインダストリアル・ノイズなど、80年代以降に流行になる要素も併せ持った非常に幅広い音楽性を持つバンドである。ただし、デメトリオ存命中の作品は暑苦しい音楽が嫌いな人には向かないかも・・・

*3:ちなみに悪名高いメーソン系結社P2は反共組織で、この労働争議の歴史の裏の一員である。現イタリア首相ベルルスコーニもP2のメンバーだったらしい。

*4:PFMのマウロ・パガーニのインタビュー(http://www2u.biglobe.ne.jp/~CTL/HPdata/music/pfm_jpn/karasu05.html)によればロックそのものが反体制と見なされ政治的圧力がかかったそうだ。

*5:『1978』より前のアレアのアルバムが発売されにくい理由はこの政治的姿勢にもあるのかもしれない。

*6:フォーカスの『悪魔の呪文(Hocus Pocus)』もそういう曲なので大好きだ。

*7:センスの無い私の表現なので、他の人が聴く印象とは全く異なるかもしれない。

*8:勿論、デメトリオ以外のメンバーも茶目っ気たっぷりの凄腕ミュージシャンばかりだ。

*9:コルトレーンの後継者、ファラオ・サンダースのバンドに在籍したジャズ・ボーカリストキング・クリムゾンやアレアやマグマがコルトレーン/サンダースに大きな影響を受けているのは確かみたいだけど、その辺りはまだ私の勉強が足りないので良く判らん。

*10:マグマは、勿論、かなり演奏の上手いバンドです。アレアとかアルティ〜のような鬼テクバンドでないという事だけで他意は全くありません>マグマ・ファンの皆様

*11:だが、これが労働運動の沈静化と80年代のイタリア経済の低迷を招くのは歴史の皮肉以外の何物でもない。

*12:ああっっっ!この時期のライブのブート『1978 acrostico in memoria di Demetrio』が欲しい・・・06年4月追記:入手しました。デメトリオがホーミーしまくりです。

*13:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005NWC7/

*14:その翌年の1980年、ジョン・ボーナムLed Zeppelin)が急死し、ジョン・レノンは射殺された。あたかもセックス・ピストルズの『ロックは死んだ』宣言によって神々が次々と地上から去って行くかのように・・・そして世界は、神が死に絶えた混迷の時代を迎えたのだ。

*15:『Tic & Tac』は手に入ったけど、ラストアルバムの『Chernobyl 7991』が手に入らないよ〜(T_T) ・・・06年4月追記:中古で手に入れました。良いね、やっぱり。

*16:その上、結構有名なバンドの癖にアルバムが入手し難い。興味の有る方はバンドの頭脳だった凄腕ピアニスト、パトリツィオ・ファリセッリの公式ページにあるアレアのディスコグラフィを参照のこと:http://www.fariselliproject.com/discografia.htm

*17:『Caos parte Seconda』の冒頭部・・・のつもり・・・