Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

『ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する』スティーヴン・レヴィット&スティーヴン・ダブナー著;東洋経済新報社*2

スポーツや犯罪や教育など様々な事に関する一般世間の『常識』について、経済学的手法でその真偽を解き明かしていこうとする本である。
多くの議論を喚起した犯罪の発生件数と妊娠中絶合法化との関係*1などは『命の重さ』について考える上で興味深い題材であり、また教育の話*2なども面白いが、私にとっては特にインセンティブに絡む話が興味深かった。
レヴィットによればインセンティブには『経済的』『道徳的』『社会的』の3つがあるとのこと。日頃のニュース報道などを見ていると、人間はいつも己の欲に流されて動いている、つまり「自分の利益の為」という経済的インセンティブによって動いているように思いがちである。しかし、この本を読むと「案外人間も捨てたものではない」と思えてくる。本書の中のベーグル販売の話が象徴的であるが、人間は経済的インセンティブや「みんながやるから/ルールで決まってるから、仕方なく」という社会的インセンティブだけでなく、互いを思いやり信頼を守るような道徳的インセンティブによって動く事が”意外と”多いのである。以前に紹介した本*3にも同様の事が書いてあったが、それは「人間が社会的動物である」ということの傍証の一つなのかもしれない。
兎も角、人間はどのような動機によって動くのか、という事を考えている人には色々と示唆を受ける事の多い本だろう。特に「社会をより住みやすく公正なものに変えていこう」という青雲の志をお持ちの方は、2chでクダ巻いてる暇があったらこの本を読んでインセンティブを上手く利用する方法について考えた方が良いと思う。
とりわけ、日本の相撲の八百長の話*4KKK団の話の2つのケースが対照的だ。
相撲の八百長のケースでは、統計的には八百長行為はほぼ確実であるにも関わらず、告発者は2人とも不可解な死を遂げ、八百長問題自体が有耶無耶のまま現在に至っている。単に不正を告発するだけでは力士が八百長を行うインセンティブを変化させることは出来なかったのだ。
一方、KKK団のケースはそれとは反対の結末を迎えている。1940年代までは大統領をも動かしアメリカ南部を恐怖で支配する絶対的な非合法組織であったKKK団は、たった2人の、匿名ではあるが継続的な情報収集&リークの末に、個々の団員がKKK団に参加するインセンティブを失い、現在では殆ど政治的な力を持たなくなってしまった*5
人々のインセンティブが変化すれば社会は確実に変わる。法律などは人々の経済的・社会的インセンティブを大きく支配する要素ではある*6が、それを変える事は一個人にとっては非常に大変だ。だが、それ以外にもインセンティブを支える要素は沢山ある。インターネットの普及した現代では色々なやり方が考えられるだろう。

わたしたちは皆それぞれに特徴的な欠陥を有している。(略)すなわち或る者にとっては見栄、他の者にとっては怠惰、大多数の者にとっては利己主義。狡賢い精神がこの手段を握ったときには、諸君は滅ぼされる。*7

人間の心の弱みを知り、己の作業を行うためにそれを大胆に利用し、そして己の目論みについては沈黙する。*8

魔術とは、実はインセンティブを扱う術でもある。例えば、車を安く手に入れたい人と車を安く売りたい人、そして両者の間に情報を伝えたい人(達)が居た場合、それらの人達のインセンティブが上手く絡み合う事は願望の成就に直結する。
象徴とは人々のインセンティブの方向を定める印であって、それ自体が力を持っている訳ではない。しかし、象徴の表すモノに己の、或いは他人のインセンティブが向かう時、そこには『神』が宿り、『奇跡』が起こる。特に人々が共通して向かいたい方向、或いは向かわざるを得ない方向が示された時は、人々はあたかも何者かが宿ったかのように、或いは何者かに取り憑かれたかのように、一斉に動いていく。
変革の鍵は、人々の心の内でバラバラの方向を向いて散らばっている。魔術とはそのバラバラの鍵を象徴を使って貼り合わせる術なのだ。どんな鍵をデザインするのかは貴方次第。ただし、ヤリ過ぎるとヒトラーのように後々まで黒魔術師呼ばわりされる危険もある諸刃の剣。素人にはお勧めできない。

*1:将来犯罪を犯す可能性の高い貧困層の子供が妊娠中絶合法化により減った事がアメリカの犯罪発生件数減少の主原因である、というもの。本書では様々な統計を使って両者の間に相関が有る事を示している。

*2:親が何もしなくとも出来の良い子は育つが、出来の悪い子もその後の本人の努力次第で良く育つ。乳幼児に対する早期英才教育は効果0。

*3:http://d.hatena.ne.jp/Hocuspocus/20060819

*4:文中に出てくる、暴露本の出版前の同じ日に同じ病院で同じ病名で亡くなった2人の元相撲関係者ってのは、Wikipediaの『八百長』の項目(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE%E9%95%B7)によれば11代大鳴戸親方(菅孝之進氏)と後援会会長の橋本成一郎氏の事らしい。最初は板井圭介氏の事かと思ったけど、よく考えたらまだ生きてるよね。

*5:何が個々の団員達のインセンティブを減退させたのかを知りたい人は本書を読むように。ヒントとして、リガーディーの『黄金の夜明け』出版が第2次大戦前のGD系団体の崩壊の引き金になったのと似ている、と書いておく。

*6:例えばビールの税率と発泡酒の税率の比率の変化は、どちらを買おうか、という消費者のインセンティブを確実に変化させる。

*7:E.レヴィ著『高等魔術の教理と祭儀 教理篇』(人文書院218ページ。

*8:前掲書141ページ。