Tweiiter of Hocuspocus_Mage The Starry Abode

モー娘。とネ申

I∴O∴S∴のプロベイショナー用講義文書の第10章が最近公開された*1が、その中にクリフォトについての記述がある。
一読して判ることは、結局クリフォトとは何か、何だか訳がわからない、という事であろう。
それもその筈で、カバラに関する本を数冊読めば判るが、クリフォトというかカバラにおける悪の問題は時代や人によって考え方がバラバラで未だに決定版となるものが無いのだ。それらを無理矢理集めて一つの論考にまとめる事自体に大いに無理があるのである。
結局の所、悪、というか嫌なモノ、考えたくないモノをどうするのか、というという意味で、下記のリンク先の樹形図とカバラに於ける悪の問題は同様の神学論争の体を為している。
http://logsoku.com/thread/yutori.2ch.net/morningcoffee/1276081687/
元々カバラにおいて悪の問題は考えられていなかった。神の顕現である生命の木は全て神聖なものである、というのがカバラの基本的な考え方なのである。上記の樹形図で言えば、「しないよ派−○門無いよ」派という事になろう。
でも実際に悪は存在するじゃないか、という事でそれを一番下のセフィロトであるマルクトに押し込める考え方があり、有名な旧GDのエデン図はその考えに従って描かれている。その図の説明に於いては、生命の木がバランスを崩した所為でマルクトが殻(クリフォト)の王国と結びついた、とされるが、そもそも殻の王国って何で存在するのか?という疑問を持たざるを得ないという意味で「するよ派−○門は無いがウ○○はする(中立派)」と言えるであろう。
魔術的カバラで最近主流の生命の木の影、セフィラ間の力の不均衡をクリフォトの起源とする考え方は言わば「するよ派─人並みにするよ派」、或いは万物が生成を繰り返す際に常にそのような不均衡が生じると考えれば「するよ派─他の人より大量にするよ派」に分類されるであろう。
神学論争は、どんな宗教であっても最後には統一不能な不毛な細分化に終わるものだ。
・・・下ネタが連続して続きましたが、決して欲求不満な訳ではありません。ええ、多分。